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平成14年3月1日

  偶然、大和銀行巨額損失事件で世間を騒がせた当事者である井口俊英氏と接点を持つ事ができた。かなりマスコミで取り上げられた事件だが、時間が経過していることもありオウム真理教によるサリン事件のように、人々の記憶から消えつつある。当時、監督省庁であった大蔵省が隠蔽工作をしたこともあり、アメリカから大和銀行が追放された。それと同時に日本の信用が凋落し、S&Pやムーディーズによる格付けが引き下げられることによるジャパンプレミアムがついたのもこの時期と重なる。余力があったかのように見えた日本経済だが、土地や株はバブル期と比較すると数分の一以下に値を下げ、企業の体力を容赦なく奪い、余力がなくなってきたのも丁度この時期だった。いつか値上がりする、いつか経済は回復するという空念仏をエコノミスト逹が唱え、日本を代表する一流企業の経営者もそれを信じて疑わなかった。過去の成功体験とプライドが土地と自社ビルを保有するステイタスを捨てきれなかったのだろう。しかし、ここ最近、何でも自前でこなしていた自前主義が環境変化によってかわりつつある。環境の変化に迎合する為の派遣労働者の活用や証券化などの流動化スキームは、瀕死寸前の経営状況を是正する過程でどうしても必要だったのだろう。

 バブル経済崩壊後の1990年以降、日本企業の巨額損失が目につくようになった。そのなかでも、住友商事の銅不正取引による巨額損失事件(約2800億円)はとてつもなく大きな損失金額と非鉄金属部長であった浜中泰男氏がミスター5%(銅の取引額の5%を握っていた)やハンマー(市場を叩きつける意味と名前をもじって)と呼ばれていた事からもわかるように、市場(LME:金属の価格指標であるロンドンの取引所)に与えた影響はあまりにも大きかった。また、それに匹敵する衝撃を受けたのが大和銀行の井口俊英氏が行った米国債の不正取引である。冒頭に述べたように、大和銀行巨額損失事件は1100億という金額だけでなく、護送船団方式の悪しき慣行を象徴する事件であり、高度経済成長を支えていた仕組みが逆回転する様を投影した事件でもある。ある意味、当局が絡んでいた事によって住友商事の銅不正取引事件よりインパクトは大きかった。大和銀行が海外業務から撤退させられ、いまだに不良債権に苦しんでいるのと比較すると、住友商事は事件を教訓に、リスクマネージメントを徹底し、経営の効率化を推し進めた企業の本来あるべき姿だろう。それは怪我の功名と言うより、むしろ失敗から学ぶフィードバックと言えるだろう。

 あまりの損失金額の大きさに驚いたのも事実だが、もっと驚いたのは数百億、数千億にも及ぶ損失額にびくともしなかった企業たちである。その背景を見ると土地本位制の経済下、いかに含み益などによる内部留保を抱えていたかがわかる。その点で良く比較されるのは、世界最大規模の金融グループを形成するシティバンクである。今では世界一と言われるシティバンクであるが、日本企業と違って、アメリカ企業は資本を効率的に使わなければ株主による訴訟も珍しくなかった。さらに会計基準の厳格さによって企業の都合(日本は原価法や低価法などにより操作できた)にあわせることが難しかった。バランスシートがスマートだったが故に、瀕死の危機に喘いでいた背景は現在のシティバンクしか知らない人には信じられないだろう。それは、住友商事の銅不正取引事件の損失額とほぼ同額である3000億程度の資金不足によって90年代前半に潰れかけていたことにある。しかし、シティバンクは中東の資産家の融資とジョンリードの手腕によって息を吹き返し、ソロモンスミスバーニーなどのトラベラーズグループを吸収し、世界一の金融グループへのし上がった事は、ルイス・ガースナーがIBMを復活させた事と並び、アメリカ経済の復活を象徴している。

 80年代後半の日本企業といえば、世界の資産ランキング上位に都銀が名を連ねていたように、あたかも世界経済を席巻していたかのように見えた。また、アメリカの魂と言われたロックフェラー財閥の象徴であるロックフェラーセンターを買収したり、ワーナーやコロンビアを買収したりことにより日本が世界の牽引車のように見えた時代でもある。その当時の邦銀と言えばNYでの接待費が2ヶ月で8万ドル(当時のレートで約2000万円)と言う事も珍しくなく、使い切るのに困っていた事もあったらしい。実際に、ヘリコプターでマイクタイソンの試合を見に行く事すらあったそうだ。有り余った金が海外に流失しているくらいだから、国内ではそれ以上のものがあった。日本経済は今では考えられないほど浮かれており、フェラーリF40が2億5千万で売れたり、ゴルフの会員権(小金井CC)に3億ものプライスタグがついていたおかしな時代だった。シンガポールでベンツやBMWを当たり前のように見かけたのも驚いたが、ベンツの旗艦であった当時の560SEL(若しくは560SEC、500SL)が本国でもないのにあれだけ街に溢れている国もなかった。ウォーターフロントと言う言葉が流行り、バブル経済崩壊後も余韻によってバブル期に計画された需給関係を無視し、コストを度外視した計画が次々と実行に移された。横浜の桜木町にあるみなとみらい21地区は、まさにバブルの遺物と言ってよい。インターコンチを皮切りに始まったみなとみらい21計画は2100億もの資金(家主である三菱地所は2001年度に800億もの評価損を計上)を投入した297Mの高さを誇る70階建てのランドマークタワーを中心にクィーンズスクゥエアなどの商業施設を次々に建設し、需要と供給のミスマッチを招いてしまった。理由を考えてみると、地の利に勝る丸の内のオフィス街より家賃に魅力がなければ入居するはずがない。それらを見ると、あの時代は何でも許されたのだと言う事がわかる。諸悪の根源は、拡大再生産の経済成長と土地本位制による成功体験にあったのだろう。時代は変わりつつある、戦後の日本経済を支えてきた日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行のすべての長期信用銀行の名前がなくなり、安定的な政権の代名詞であった55年体制が崩壊し、高級官僚を象徴する大蔵省の名が消え去ったのも、時代の要請だったのだろう。巨額損失事件や中央省庁の汚職が露呈したのは、新陳代謝として起こるべくして起こったのだろう。

 最後に余談であるが、ある債券ディーラーの方と電話で話した時、「今日、歴史的大事件があったよ」「某UBSウォーバーグがやってくれました」と嬉しそうに話していた事(某と言っても、そのままじゃんと思ったが・・・・)をふと思い出した。それは、2001年11月30日の電通(東証1部:9445)上場日に60万円で16株の注文を16円で60万株と出した、ある意味記念碑的な事件である。上場日の前場が始まってすぐの9時22分、一説によるとロイター端末やブルームバーグ端末より精度の高い情報が流れていると言われる2ちゃんねるに「★世紀の大ちょんぼ、ウオーバーグは逝ってよし!」のスレが立った事は、金融関係者の間ではあまりにも有名である。今までであれば、一般人にこのような情報が流れる事がなかったし、モナーが踏み上げだ、スクイズだとお祭り騒ぎをする事もなかった。このようなところからも、歴史は大きく変わっていると言う事を肌で感じる事ができた。

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早川総研主席研究員

平野 貴久

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